So-net無料ブログ作成

ROCK&SNOW68号 [クライミング]

 先日発売されたロクスノは読み応えのある記事がたくさんあって楽しく読みました。特に、草野さんのインタロクスノビュー、シュテファン・クロバッツ50歳の大台、Alpine Line2015の中の「ラインに宿るクライマーの個性と物語」の記事には引き込まれるように読んでしまいました。
 残置支点を追うだけのクライミングが今だ行われていますが、もうそろそろ止めにしたいものです。昔、私がアルパインクライミングを始めたころ先輩に言われたのは、「ルートの初登者が打った支点以上の支点を設置して登ってはいけない。それは価値の無いクライミングにつながる」でした。初登者のスタイルより、より良いスタイルで登ることが再登者に課せられた使命だと。この言葉は現代も生きていて、より良いスタイルでのクライミングとは何かを考えてクライミングする姿勢が大事だと思います。
 今のクライミングは価値観の無い時代にあるのではないでしょうか。手段を選ばずに登って結果だけが語られるのには、違和感を覚えます。
 このような素晴らしい記事を是非たくさんのクライマーに読んでほしいのですが、読んで欲しいと思う人たちほどこの手の本は読みません。本当に残念な事です。
 数年前に三ッ峠の岩場に十数年ぶりに行ったのですが、この岩場には確かクラックがたくさんあってNPだけでもかなりのルートが登れると思い出しNPの持参しました。数本のルートをNPだけで登りましたが、まだまだNPだけで登れるルートはたくさんありそうです。この岩場、無残に大量に打たれた残置物を撤去したら、相当綺麗で洗練された岩場になるように思うのですが。この岩場はアルパインクライミングのトレーニングの場として数え切れないくらい通った岩場です。岩場そのものも進化が必要と考えます。山の中のいわゆる本チャンルートにも強固な支点が設置される時代ですので、とても無理なのでしょう。クライミング文化の劣化が進行する時代なんですね(>_<)。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

小島

私が登山を始めた頃、1970年代前半にRCCⅡという先鋭的組織が編集した、
「新版 日本の岩場」グレードとルート図集という表紙が黄色本がありました。

その中のピッチグレードに関する一文を覚えています。
フリークライミングで○級(数字は忘れましたが、5級だと思います)でも、多くのクライマーがアブミをつかうなら、4級A1と表記するというようなことが書いてあったと記憶しています。
私はこの大衆化思想が日本のクライミングを堕落させたと思います。
フリーでトライして登れなくて、人工手段をつかうのではなく、初めから人工で登る思想です。

組織といのは異なる思想の人々がいます。
現代でいうとJFAがシーサイドの足場工事みたいなことをやるわけです。これも文化の抹殺、大衆化でしょう。クライマー側代表者と地元との約束事を無視したのです。自分たちのお客のためでしようか。JFAの人でチョンボ棒はつかうな、トップロープのほうがまだましとか発言する人もいます。では、トップロープは誰が掛けるのでしょう。講習屋(プロガイド)さんが赤の他人のために掛けてくれるんでしょうか。講習料を払えば、トップロープで登らせてやるという意味なのでしょうか。

私は三峠はあまり行っていません。以前は地蔵の右で、中間の易しい部分は残置がなかったです。
しかし、リングボルトが何本も打たれました。それ以前でここで落ちるとグランドです。出だしの5+が登れるなら、ここでは落ちないだろうということだったのです。
三峠はよく人が落ちてきたり、物が落ちてくる岩場です。自分で落ちなくても危険です。
なので支点が多いほうが安全です。しかし、なんか釈然としなかったです。

30年以上昔ですが、私がモンブランド・タキュルのジェルバジッチピラーを登ったときに、日本の残置支点だらけのルートと異なり、ハーケンは少なく、各ピッチの難しさに驚きました。これは第二次大戦以前のルートです。ジェルバジッチはイタリアのクライマーです。

by 小島 (2015-08-06 21:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。